商品参数
- 拍卖号: p1100807447
开始时的价格:¥31 (580日元)
个数: 1
最高出价者: - 开始时间: 2024/6/8 22:05:18
结束时间:
提前结束: 有可能
商品成色: 二手 - 自动延长: 不会
日本邮费: 中标者承担
可否退货: 不可以
直购价格: ¥31 (580日元)
拍卖注意事项
1、【自动延长】:如果在结束前5分钟内有人出价,为了让其他竞拍者有时间思考,结束时间可延长5分钟。
2、【提前结束】:卖家觉得达到了心理价位,即使未到结束时间,也可以提前结束。
3、参考翻译由网络自动提供,仅供参考,不保证翻译内容的正确性。如有不明,请咨询客服。
4、本站为代购代拍平台,商品的品质和卖家的信誉需要您自己判断。请谨慎出价,竞价成功后订单将不能取消。
5、违反中国法律、无法邮寄的商品(注:象牙是违禁品,受《濒临绝种野生动植物国际贸易公约》保护),本站不予代购。
6、邮政国际包裹禁运的危险品,邮政渠道不能发送到日本境外(详情请点击), 如需发送到日本境外请自行联系渠道。
70's
(2023年 7月 29日 18時 14分 追加)
(2023年 7月 29日 18時 17分 追加)
ジョー・コッカー
Joe Cocker
マッド・ドッグス&イングリッシュメン Mad Dogs & Englishmen ( ¥ 400 国内盤 7inch)/ Cry Me A River / Honky Tonk Women
A&M Records AM-65
1970年録音
1971年リリース
レコードの盤面の盤質は、良好です。
解説(越谷政義)、歌詞が、あります。
ジャケット、ライナー、インナーに コスレと ヨゴレが、あります。
<発送方法>
ゆうメール送料180円
< KENC 2023 04-20 38 >
< KENC 2023 04-20 38 >
<お支払い方法>
ヤフーかんたん決済
(2023年 7月 29日 18時 14分 追加)
1964年にデッカ・レコードからビートルズのカバー曲「ぼくが泣く」でデビューするが不発に終わり、シェフィールドにてグリース・バンドとともにライブ活動を行った。R&Bに影響を受けた唱法やライブ・パフォーマンスが評判を呼び、1968年にクリス・ステイントンとの共作「マジョリーン」でA&Mレコードから再デビューして、自身初の全英シングルチャート入りを果たし48位を記録した[3]。同年にビートルズのカヴァー「心の友」が全英チャート1位の大ヒット[3]、そしてイングランドのみならずFM放送局を通じてアメリカ、オランダ、ベネズエラなどの国で脚光を浴びる。1969年には彼の人気を決定づけたウッドストック・フェスティバルに出演[4]。公開された映画でのエア・ギター・パフォーマンス(本物のギターも弾ける)と「心の友」でのパワフルな歌唱で世界の聴衆にも強い印象を与えた。またレオン・ラッセル制作のシングル「デルタ・レディ」も全英10位を記録する[3]。
1970年に再びビートルズの「シー・ケイム・イン・スルー・ザ・バスルーム・ウィンドー」のカバーやトラフィックの「フィーリン・オールライト」でアメリカのチャートにも食い込み、同年のアメリカ・ツアーはレオン・ラッセルが仕掛け人となり、メディスン・ショウの一座の様な大所帯のバック・バンドが話題となった。マッド・ドッグス&イングリッシュメン・ツアーは商業的には成功に至らなかったが、この模様を収めたフィルモア・イーストでのライブ・アルバム『マッド・ドッグス&イングリッシュメン』(1970年)はヒットした。収録されているリタ・クーリッジが唄う「スーパースター」は、後にベット・ミドラーやカーペンターズに歌い継がれている。だが、ツアーの負債はジョー・コッカー個人が負うことになってしまう。
レオン・ラッセルは去り、相棒のクリス・ステイントンも去りツアーに疲れたコッカーには金銭的にも恵まれず、1972年10月14日、ツアーの滞在先のオーストラリアで大麻所持の容疑で逮捕されてしまう[5]。オーストラリアの連邦警察当局は48時間以内にオーストラリアから出国する様に命じられた。これに対して多くのファンが抗議活動を行い、これが発展してオーストラリアの大麻の合法化の討論にまで発展した。
1974年にようやく『ユー・アー・ソー・ビューティフル』でフル・アルバムを制作、1975年にはアルバムからのシングルでビリー・プレストンのカバー「ユー・アー・ソー・ビューティフル」がビルボードのヒット・チャートで5位になりシンガーとしてのキャリアを高めて行く。アルバム『ジャマイカ・セイ・ユー・ウィル』、そして翌1976年にはジャマイカでの録音でスタッフとピーター・トッシュ、エリック・クラプトンらとのアルバムをリリースしている一方、長年の薬物中毒とアルコール依存の脱却をはかり1981年にはゲスト・ボーカルで参加したザ・クルセイダーズの『スタンディング・トール』(1980年)がグラミー賞候補になり、1982年にはジェニファー・ウォーンズとデュエットした映画『愛と青春の旅だち』の主題歌「愛と青春の旅だち (Up Where We Belong)」が全米1位のヒットを記録した。これ以降、大衆的な歌手としてアルバムをコンスタントにリリースできるキャリアを確立した。
なお、1994年のウッドストック25周年記念コンサートに参加して「ウィズ・ア・リトル・ヘルプ・フロム・マイ・フレンズ」を披露している。
『マッド・ドッグス&イングリッシュメン』(Mad Dogs & Englishmen)は、イングランドの歌手ジョー・コッカーが1970年に録音・発表した、自身のキャリアにおいて初のライブ・アルバム。2枚組のLPレコードとして発売され、後のCDでは1枚にまとめられた。本作の録音・発表から35周年に当たる2005年には、多くのボーナス・トラックを追加したCD2枚組のデラックス・エディション盤が発売された[6]。
ジョー・コッカーが1970年3月から5月にかけて行ったアメリカ・ツアーには、グリース・バンドのメンバーであるクリス・ステイントンに加えて、本作をプロデュースしたレオン・ラッセルの人脈のアメリカ人ミュージシャンが多数参加した。その中には、この年にデレク・アンド・ザ・ドミノスのメンバーとなるカール・レイドルとジム・ゴードン、翌1971年に初のソロ・アルバムを発表するリタ・クーリッジ、後にジョン・レノンやジョージ・ハリスン等のレコーディングに参加するジム・ケルトナー、後にローリング・ストーンズのサポート・メンバーとなるボビー・キーズもいた。本作のプロデューサーの1人であるデニー・コーデルは、ドラマー3人を起用する案に反対して、ラッセルに「1人で十分」と言ったが、ラッセルはそれに対して「2人に『来るな』なんて言えるのかい?」と反論したというエピソードがある[7]。
3月13日からリハーサルが始められ、3月17日のリハーサルではシングル用の「あの娘のレター」「スペース・キャプテン」が録音された[8]。そして、コッカーらは3月19日にデトロイトへ向かい、翌日に初日の公演を行った[8]。
本作には、ニューヨークのフィルモア・イーストで行われた公演が収録された。ローリング・ストーンズの「ホンキー・トンク・ウィメン」やボブ・ディランの「北国の少女」等、コッカーの前2作のスタジオ・アルバムでは取り上げられていないカヴァー曲も含まれており、また、コッカーの歌唱に加えて、リタ・クーリッジがリード・ボーカルを担当したデラニー&ボニーのカヴァー「スーパースター」も収録。
コッカーの母国イギリスでは、自身初となる全英アルバムチャート入りを果たし、最高16位に達した[3]。アメリカのBillboard 200では自身初となるトップ10入りを果たし、『ビルボード』誌のR&Bアルバム・チャートでは23位に達した[1]。オランダのアルバム・チャートでは、1971年10月に2週間トップ10入りした[2]。
(2023年 7月 29日 18時 17分 追加)
- ジョー・コッカー - ボーカル
- レオン・ラッセル - リード・ボーカル(on "Hummingbird", "Dixie Lullaby", "The Ballad of Mad Dogs & Englishmen")、ギター、ピアノ、アレンジ
- クリス・ステイントン - ピアノ、オルガン、アレンジ
- ドン・プレストン - リード・ボーカル(on "Further on Up the Road")、リズムギター、コーラス
- カール・レイドル - ベース
- ジム・ゴードン - ドラムス
- ジム・ケルトナー - ドラムス
- チャック・ブラックウェル - パーカッション、ドラムス
- サンディ・コニコフ - パーカッション
- ボビー・トーレス - コンガ
- ジム・プライス - トランペット
- ボビー・キーズ - テナー・サックス
- リタ・クーリッジ - リード・ボーカル(on "Superstar")、コーラス
- クローディア・レニア - リード・ボーカル(on "Let It Be")、コーラス
- ダニエル・ムーア - コーラス
- ドナ・ワイス - コーラス
- パメラ・ポランド - コーラス
- マシュー・ムーア - コーラス
- ドナ・ウォッシュバーン - コーラス
- ニコル・バークレイ - コーラス
- ボビー・ジョーンズ - コーラス